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Taipei Confucius Temple Confucian Culture

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学びて時に之を習う、また説ばし(よろこばし)からずや。
三人で連れ立って歩けば、必ず自分の師を見つけることができる。善い仲間を選んで、その善い行動を見習い、悪しき仲間を見れば、その悪い行動を改めるからである。
私は生まれながらにして物事を知っている者ではない。古代の知恵と礼節を好んで、意識して敏感にそれを求めてきた者なのだ。
人間の生来の性質は似たようなものである。その後の学習によってその性質に違いが生まれるのである。
物事を理解する者は、物事を好んでいる人に及ばない。物事を好んでいる者は、物事を心から楽しんでいる人にはかなわない。
過去の古い事柄を再び考え、新しい事柄も知れば、他人を教える師となることができるだろう。
人民を導くのに道徳をもってし、人民を統治するのに礼節をもってすれば、人民は(徳と礼節を失う悪事に対する)恥を知りその身を正すようになる。
物事を学ぶだけで自分で考えないとはっきりしない(本当の知識は身につかない)。自分で考えるだけで師から学ばなければ(独断・独善の弊害が生まれ)危険である。
黙って記憶し、学んで飽きることがなく、他人に教えて倦怠することがない。これは私にとっては大したことではない。
学問に励む君子が、幅広く文献・書物を学んで、礼によってその知識を集約するならば、正しい道徳の規範から外れることはないだろう。
四つの重要なことを教えてくださった,それは、文・行・忠・信である。
道徳の修養ができない、学問の勉強が足りない、正しいことを聞いて心を変えられず、間違ったことをしたと分かっていてそれを改めることができない。これが、私の心配である。
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