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Taipei Confucius Temple Confucian Culture

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人間はまっすぐに生きていくものだ。正直さがなければ、ぎりぎりの人生を生きているというだけだ。
父母がおられる間は、遠くに旅に出てはいけない。旅立つ時は必ず連絡先を父母にお教えしなさい。
父が生きていればその意志を観察し、父が亡くなればその行動を観察する。そして、父の死後三年間、亡父のやり方を改めないのであれば、これは確かに孝行といえる。
人間が道を広めるのであり、道が人間を広めるのではない。
三軍の大軍であっても元帥(大将)を捕縛してその指揮権を奪うことができる。しかし、1人の人民でもその意志を強引に奪い取ることはできない。
立派な士で、君子の道を志していながら、粗衣粗食を恥じるようでは、まだ共に語る相手としては不足だね。
他人が自分を認めないことは心配いらない、自分が他人を認めないことのほうを心配しなさい。
知恵のある人は迷わない、仁徳ある人は不安にならない、勇気ある人は恐怖しない。
仁は遠い場所にあるのだろうか?いや、私が仁を本気で求めるのであれば、仁はすぐにでもここにやってくるだろう。
巧妙な弁舌に感情豊かな表情、そういった人は、見せ掛けだけで本当の思いやりの心が少ないものだ。
君子は自己の中にこれを求めるが、小人は他人に対して求める。
君子は、人々と広く親しむが、おもねらない(馴れ合わない)。徳のない小人は、馴れ合いはするが、広く親しむことがない。
君子は心穏やかでのびのびとしている。小人はいつでもせこせことして落ち着きがない。
君子は泰然としているが驕慢ではない、小人は威張ってはいるがゆったりとしていない。
君子は生涯を終わってから、自分の名前が唱えられないことを悩むものである。
私は毎日三回、自分の身を反省する。他人のためを思って真剣に考えてあげるまごころが無かったのではないか。友人と交際を持つ中で誠実ではなかったのではないか。(孔子に教わったことを)十分に復習せずにあなたたちに伝えてしまったのではないか。
志士・仁人と呼ばれる人は、生命を大切にしながらも仁徳を傷つけることがない。更に、身を殺してでも仁徳を成し遂げることができる。
有徳の優れた人を見れば同じようになろうと思い、徳のない劣った人を見れば、(自分も同じように愚かなのではないかと)心の中で反省する。
知者は水を楽しんで、仁者は山を楽しむ。知者は動的であり、仁者は静的である。知者は人生を楽しみ、仁者は人生を長生きすることになる。
剛直で勇敢であり、素朴で寡黙なのは、仁徳に近い。
富が正しい方法で手に入るのであれば、鞭を振るって馬を走らす御者にでもなるだろう。もし、富が正しい方法では手に入らないというのであれば、私は自分の好きな事柄をするだろう。
寒さの厳しい年に、初めて松と柏の葉が、他の樹木よりも遅く枯れ落ちることが分かるのだ。
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